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多摩応援団

  • 2024.04.04
  • 投稿者:ゼツ

奈良時代の五畿七道の一つ、東海道は実は私の生まれた多摩市を通っていました。

奈良の都から各国の国分寺に使者を送る為に作った日本初の国道である七道のうち、武蔵国へはこの東海道を使い、相模国の国分寺海老名から北上し、現在の町田を超えて多摩センター付近から多摩川に向かい、中央線の国分寺付近にあった武蔵国分寺へと辿ったそうです。(奈良時代初期は、東山道という今の中山道を使って東山道武蔵路を使っていた)

この東海道がやがて鎌倉街道と重なり、比企、畠山などの御家人が武蔵と鎌倉を往復し、最後に新田義貞が鎌倉を攻める路となりました。

さらに時代は下りますが、徳川家康は江戸に入る頃に今の府中競馬場と大國魂神社の中間付近に「府中の館」を建てていて、小田原成敗後の豊臣秀吉による奥州仕置きの時も、宇都宮からの帰りに秀吉を接待したとの記録があります。(秀吉が多摩を通って大阪へ帰ったという驚きの事実)

家康死後、久能山東照宮から日光東照宮へ移葬の際は久能山から1000人の行列が古道東海道で武蔵国に入り、府中の館で数日過ごした後に川越へ向かったという記録も目にしました。

(町田市の小野路に、当時の行列の言い伝えを資料館で発見)

私の故郷多摩は1000年にわたって武蔵国(現在の神奈川の東部から、東京・埼玉のほぼ全域)の中心であったわけで、東京都下などと下に見られるなどもっての他だと思っています。

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