小学校1年の2学期から高校を卒業するまで過ごした広島に社員旅行で訪問しました。
社長をはじめ旅行委員の方々のきめ細やかな気遣いで、素晴らしい社員旅行を満喫することが出来ました。
宮島は小学校の遠足で、中学校の弥山(みせん)登山で何度も訪問しています。久しぶりで非常に懐かしく思い、やけにあか抜けて観光地化
していたのに驚きました。
広島平和記念資料館(原爆資料館)には、小学校2年生で初めて訪問し、原爆の悲惨さにショックを受けたのを鮮明に覚えています。バスガ
イドさんが、「展示の方法が年々マイルドになって来ている。」とおっしゃっていましたが、確かにそう思う箇所が多くありました。
私の卒業した袋町小学校は、爆心地から約460メートル(平和公園から約500メートル)に位置しているにもかかわらず、RC構造の西校舎は
外郭のみ原形をとどめ崩壊しませんでした。私は、その校舎に卒業するまで通学しましたが、老朽化や耐震面から2000年に一部を残し解体
されました。今は、その残った一部の校舎が、袋町小学校平和資料館として一般に公開されています。外郭をとどめた西校舎は被爆直後から
救護所として利用され、壁面には、被爆者の消息などを知らせる「伝言」が数多く記されていました。庶民の生の声が聞こえる遺産として残
っています。
さて、袋町小学校の校歌は、「鯉城の空に高光る、いらかいかめし袋町」と始まります。広島市の中心部に入って最初に見た「広島城」を別名
「鯉城」と言い、そこから野球の「広島東洋カープ」も名づけられました。(説のひとつとして)
11月に高校の古稀同窓会が予定されているので、もう一度じっくり観光して来ようと思っています。